戯言・由無し事,  未分類

ヘイトスピーチは許さない。それは当然である。(日本城タクシー株式会社の場合)

 ヘイトスピーチはもちろんのこと、(内心・良心の自由を超えた)増悪表現は許されるものではない。

 そして、それは当然にして国籍を問わずである。

 しかしながら、ここ最近において、朝鮮人(特に韓国)による、日本と日本人に対するヘイトスピーチは目に余るものばかりである。

 残念なことに、(南北)朝鮮人の日本に対するヘイトスピーチに関しては問題とせず、日本人が少しでも朝鮮人のことを悪く言えば「ヘイトスピーチ」だと騒ぎ立てる方々がいてる。いわゆる、ダブルスタンダードと言うものだ。しかも悪質さと量では朝鮮人による日本人へ向けたヘイトスピーチの方が甚だ大きい。

 「‘外国人への差別ゆるさねぇ。’って堂々と言える俺って、かっこえーーー。」とか言う自己陶酔タイプ。10代までならまだありえる。

 確かに、日本と朝鮮(韓国あるいは北朝鮮)を対比して、その国が紡いできた文化・文明、そして、国民が努力して得た経済力、さらにはその結果から導き出される民度など、いずれにおいてもその差は歴然である。それらを鑑みれば、「日本が大人として(程度の低い)朝鮮人に譲歩することも必要だ。」と言う近視的な正義感を一部の若者が持ってしまうのも仕方のないことかも知れない。

 しかしながら、大人になってもその様な厨二病を患っている方が社長を務める会社があった。

 もちろん、何人(なんぴと)であろうと思想信条の自由は認められるべきであり、当然にして、この社長の行動およびそれを内外に発信する自由は、日本においては認められるべきである。なので、この会社に対して、クレームの電話を入れたり、嫌がらせをすることは(日本では)許されない。実際にそれを行うことは日本の風潮・世論も許さないだろうし、私もその様な行動に対しては一片の賛同する部分は見いだせない。(ただし、韓国においては、日本人や日本への嫌がらせは英雄になれるチャンスであり、この辺りの感覚の差でも民度の差が歴然として示されている。)。

 表現の自由が認められるからこそ、社長の立場としてインタビューに応え、組織の長として公にこの様な一方的に日本人を悪と決めつける言動・行動を行うのであれば、当然にして会社に対しての批判も受ける覚悟があるのであろう。

 実際のところ、この社長が言う姿は極端な例であり、ほとんど多くの日本人は、朝鮮人による日本への嫌がらせや犯罪、増悪表現などに対抗しているだけである。日本の憲法・法律の下で行われたそれらの対抗を「朝鮮人への差別」「日本人は加害者」と一方的に決めつけているような方が社長を務められているタクシーには乗りたくない。

 ソース→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/43336


上記ソースより、

そうなのだ、ヘイトスピーチに反対するということに、政治的信念やイデオロギーなど必要ない。そもそも差別する側は、きわめてカジュアルに他者を貶める。ときに差別じたいを娯楽の道具にする。であるならば、それは許されないことなのだと、社会の“常識”として、普通に返せばいいだけだ。たとえ「商売のため」であっても何が悪かろう。

>ヘイトスピーチに反対するということに、政治的信念やイデオロギーなど必要ない。
 まさにその通り。
 朝鮮人の日本人に対するヘイトスピーチの数々に反対することに政治的思想やイデオロギーなど必要ない。
 朝鮮人の日本に対する嫌がらせに対して、それは許されないことだと社会の“常識”として、普通に返せばいいだけだ。
 ほんと、一方的なダブルスタンダードに気がつかず、自分に刺さるブーメランだと気がつくことができない典型例。

>そもそも差別する側は、きわめてカジュアルに他者を貶める。

 まさにその通り!!!
 この一文は、カジュアルに日本と日本人を貶める行動をする朝鮮人を紹介するものではないか?。
 もしこれが日本人に向けられた言葉なら、自分たちの行動は顧みず、日本人を一方的に「差別する側」と決めつけ、レッテルを貼って被害者を演じる、まさに朝鮮手法である。

>ときに差別じたいを娯楽の道具にする。
 朝鮮人は日本人へのヘイトスピーチを娯楽および溜飲を下げる道具にして、さらにお金を貪る道具にしとるがな!!!。
 事実を書くとすれば「朝鮮人はいつも(差別ですらないこと、あるいは差別を捏造して(日本への)強請りや集りりの道具にする」。その様な多くの朝鮮人に文句を言うべきである。日本人は決して娯楽として行っているのではない。真剣にそして一所懸命に、朝鮮人の強請りや集りに対抗(自衛)しているだけである。
>それは許されないこと
 「それは許されこと」。これはまさに日本人が嘲癬人に言いたいセリフである。

「なるほど、これがヘイトっちゅうもんやなあと、むしろ、世の中の気分みたいなもんがようわかりましたよ。だからますますやる気になりましたわ。ナチスみたいな連中をのさばらせてはいかんと」

 このセリフを換言すると「なるほど、これが朝鮮人マインドっちゅうもんやぁ。むしろ世の中の朝鮮人のマインドがよく分かりましたよ。だからますますやる気になりましたわ。強請り・集りを生業とする連中をのさばらせてはいかんと。」となる。
 そして特筆すべきは、「ナチスみたい」とレッテルを貼って、安易な手法で相手を蔑むこと。(正論では到底およばないためレッテル貼りで対抗することは、知性が低くてもとれる唯一の手段である。この手の人たちが好む手法。)

一部の者たちはヘラヘラ笑いながら「殺せ」と叫んでいた。

 たしかに日本人でも一部にはヘイトスピーチを行う者がいてる。そして当然「殺せ」などのスピーチはダメだ(許される範囲ではない)と私も思う。ただし、極一部の例を一般的なこととして誇大に取り上げるのはいかがなものだろうか。
 この手法がまかり通るなら、「朝鮮人はみんな靖国神社に爆発物を仕掛けて回っている。」、「朝鮮人はみんな日本の神社仏閣に油をまいている。」とか「サッカーの試合で応援席に日本の(東北)大震災をお祝いします。と横断幕を掲げる。」、「(海外で)悪いことをしたら日本人と名乗る。」とか。これらの一部の朝鮮人の行為を例にあげて、すべての朝鮮人に当てはめているようなものだ。
 ただ、朝鮮人と日本人の大きな違いは、朝鮮人はそれらの行為を行うと自国で英雄になれる。が、日本人が同じことをすると、同じ日本人に咎められる。日本人には根底に卑怯なことを嫌う精神がある。しかし、朝鮮人にそれはない。その違いが、大きな民度の違いとなっている。そしてその日本人のマインドにつけ込み続けているのが朝鮮人である。

「議論すればいいねん。運転手ひとりひとりが、なぜヘイトスピーチに反対するのか、説明すればいい。だから、ウチの運転手は大変や。勉強せなあかん(笑)」

 朝鮮人に対して、日本は何度も何度も何度も何度も議論して、その度に譲歩し続けてきた。しかし、譲歩した分だけ「おかわり」を求めてくるのが朝鮮人である。情報が広く行き渡る世界になり、多くの日本国民が知ることになっただけであり、そして今の状況がある。
 そもそも、多くの日本人の朝鮮人に対する感想や感情は決してヘイトスピーチではなく「素直な感想・感情」である。「ヘイトスピート」とレッテルを貼り議論を拒んでいるが、どちらであるかは明々白々である。

って言うか、そもそも「そんな面倒くさいタクシーに乗りたくないわ。」(笑)

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