読後感

坊主は乞食だぞ 願われて生きる:林暁宇

タイトル:坊主は乞食だぞ 願われて生きる
初版:2007年7月20日(第二刷発行 12月25日)
発行:株式会社樹心社
著者:林暁宇[はやし ぎょうう]


 坊主なんて今時いらんでしょ?(管理人の主観による坊主感です。)

 この著者ら(著者および登場人物)が生きた時代は、第二次世界大戦の戦前、戦中、戦後であり、今とは時代が相当に違ったのだとは思う。

 なので、著者や暁烏敏[あけがらすはや]氏(著者の師)、あるいは他の登場人物の様な生き様(いかに苦しくても仏道を行く)もあったのだろう。ただ、現代では二つの意味でそれはもうないと思う。

 まず一つ目は、

「どうやって食っていくかということは一切案ずるな。それは如来さんにおまかせして、君は君のその願いに精進せよ」

 暁烏敏氏の著者(林暁宇氏)への言葉であるが、今の時代、隣人がどの様な家族構成なのか、どの様な人なのかも知らない社会で、地域住民に生かされて生きると言うこと自体がまず無理だろう(否かは知らんけど)。

 さらに、その様な人(仕事もせずに仏法を説いて回る人)が近所に住んでいたら気持ち悪がられるだけである。


 そして、二つ目は私の知る範囲での坊主は、すでに職業坊主である。職業坊主が悪いとは言わない。いわゆる「必要悪」に近いものかもしれない。

「人様が苦労して働いて得た貴重なお金をお布施にいただいて生きておるものが、それを、酒や煙草に費やすなどもってのほかだ」

 暁烏敏氏の言葉です。表題の通り「坊主は乞食」とまで言い切っているので、著者やその他の坊さんたちは、酒・煙草どころか、食うや食わずレベルの清貧を超えた清貧な生活を送っている。

 良い悪いは別にして、いまどきこんな坊主はない。

 むしろ「マーケティング手法を用いたり、YouTubeを利用したりして、信者や参拝客を増やし(=布施を増やし)、他人よりも、より豊かな生活をしたい。」と考えている坊主ばかりであろう。

 ニュースやTV番組でも、スポーツや音楽を用いて、集客を図ることに勤しむ坊主が紹介されたりしている。

 さらに、私自身が夜の街などで知り合ったことのある何人かの坊主は、基本的に普通の俗人であった。悪人ではなく、普通に良い人ではある。ただ酒を煽り、タバコをふかし、女を買う程度である。
 当然、彼らはなんら違法行為をしているわけでもなく、ましてや自分で得た(信徒からのお布施などの)可処分所得を自由に処分しているだけであり、彼らには非難される謂れは一切ない。

 ただ、私自身としては、何かしらで葬儀に参列する様なことがあって、最後に坊主の講釈・説法・説教っぽいものをいくら聞いても、「偉そうな言葉を発しているけれど、心ここにあらずで、“この葬儀(通夜)で得た金で、葬儀(通夜)が終わったら、今夜はどこで酒を飲もうか、いつもの風俗店で女(○○ちゃん)でも買うか。”などと考えながら喋っているだろ」っとか思いながら聞いているので、葬儀(通夜)の場であるにも関わらず笑いを堪えるのに必死である。坊主ごときに講釈をたれられたくないわ。としか思っていない。
 現代の坊主と言う職業は、何の生産性も無く、淘汰されるべく立ち位置(職種)だと思う。しかしながら、宗教法人活動による税金の優遇処置などを鑑みると、世襲の坊主どもが、そう易々とその既得権益を手放すとは思えないが。←自分で言うのもなんですが、そもそもこの著書は、こんな考えの奴が読むものではないです。

経営手腕が気になる。〜真宗大谷派の立て直し〜

 師匠の暁烏敏氏の話はたくさんでてくるが、特にその中でも、1951年当時、財政難に苦しんでいた真宗大谷派の宗務総長に就任して、わずか1年で解消したくだりがある。
 どの様にして立て直したのかは、詳細には語られていない。ビジネス書ではないので当然かも知れないが、その手腕が気になるところではある。経営者としての素質もあるのだと思う。(ちょうど1年後には宗務総長を辞任している。参考:wikipedia)
 それよりも、気になったのが、Wikipediaに記載されている
 1915年 『中外日報』誌上において、複雑な女性関係が問題視され「信界の強盗」と、再三にわたり非難されている。
 複雑な女性関係って何?めっちゃ気になるわ。1913年(36歳)に前妻の死別し、翌年に早くも再婚(この時代の婚姻感などに知識があるわけではないので、事情は分からないけれど)。38歳にして「複雑な女性関係が問題視」って現代の文春砲ならぬ、当時の中外日砲だったのか?。まぁ昔から英雄色を好むというので、そういうことか!?

読了して

 著書内で「話しに出てくる奴(坊主)、出てくる奴、全員、変わっとるなぁ。」
 ある意味、超自由人・超我儘人、厨二病を患いすぎ。好きなことをして、好きに死んでいくのだから、それはそれで幸せだよね。って思ってしまう?

 ・・・否。

 戦前・戦中・戦後の庶民が生きることすら大変だった日本において、サブタイトルの「願われて生きる」にある通り、願われて(お布施や施しで)生き抜けたのであれば、著者を含め、この書籍に登場する坊さんたちは、人々に生きる力や希望を与え続けた本当に立派な方だったのであろう。

 時代が彼らの様な生き様を求めたのだと思う。

 彼らが、かようなストイックな生き様を示し、その生き様を見て励まされた多くの日本人が戦後の日本の復興を支え、高度成長期を作り上げ、激動の昭和を生き抜いたおかげで、今の平成・令和と安穏とした時代を享受できているだけだと思う。

 そして、その安穏とした平和な時代においては坊主は乞食ではなく、夜の繁華街では羽振りの良い上客だったり、ただのエロオヤジだったりする。もちろん、なんら悪いことをしていないし、むしろ経済を回しているし、実際にお話をするとトークも上手くて楽しい人たちばかりなんですが・・・。


2022.11.12 追記

 まぁ、驚かないけれど。特に僧侶や中学教師なんてこんなのが多いような気がする。(主観)

 中学教師、医師、僧侶、自衛官、公認会計士――。神奈川県警が今年6~8月、高校の女子生徒に対する児童買春事件で検挙した顧客たちの職業だ。買春を仲介したなどとして児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春の周旋)などの疑いで逮捕、起訴された高橋亮太被告(31)はどのように客を勧誘していたのか。捜査関係者への取材で浮かび上がった手口とは。
 まず事件を振り返ってみたい。高橋被告は2020年4~6月、東京都内の高級ホテルで計3回、知人の女子高校生1人と客8人以上を集めたパーティーを開催。客1人につき現金2万5000円の参加料を受け取っていた。繰り返しパーティーに参加する「常連客」も多かった。また8月までに24人の客も同法違反などの疑いで逮捕や書類送検された。
 高橋被告はツイッターの自身のアカウントで、買春の相手が高校生だと暗に示唆したうえでパーティーの客を募っていた。ただ参加を希望する全員をパーティーに招待するのではなく、ツイッターでのやり取りの文面が丁寧で、まめに返信する人を「選抜」して招待していたという。
 捜査関係者は理由について「乱暴で非常識な客に場を乱されたくなかったのではないか」との見方を示し、「高橋被告は職業で客を選抜していたわけではない。あくまで結果として、教師や医師らが選ばれた」と話す。
 事件は、検挙された客の中に教師や医師らが含まれていたことから話題になったが、彼らが意図的に勧誘されていたわけではなかったのだ。
 さらに、意外にも捜査関係者は「高橋被告は利益を得るためにパーティーを主催したのではない」と明かした。高橋被告が客から受け取った現金はほぼ全額がホテルの利用料などに充てられており、収入にはなっていなかったのだという。高橋被告も容疑を認めたうえで、「パーティーの主催はあくまで趣味だった」という趣旨の供述をしているという。
 犯罪者の心理に詳しい奈良大の今井由樹子准教授(犯罪心理学)は、今回のパーティーの参加者が応募者の中から「選抜」されていた点に触れ、「『自分は選ばれたんだ』という特別感、優越感、満足感を得られる仕組みが、客が何度も足を運ぶ動機の一つになっていた可能性がある」と分析する。
 また橋本和明・国際医療福祉大学大学院教授(犯罪心理学・虐待臨床学)は「高い倫理観が求められる職業にもかかわらず、同様の事件で検挙される人は後を絶たない。こうした立場にある人たちは人一倍高い意識を持ってもらいたい」と話す。【田中綾乃】

「教師に僧侶…乱交パーティー事件の客、SNSで“選抜” その手口」(YAHOO! ニュース(リンク切れ))

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