読後感

「舌」は口ほどにものを言う/塔山郁

タイトル:「舌」は口ほどにものを言う
発売日:2023/7/20
出版社:株式会社宝島社
著者:塔山郁[とうやま かおる]

 漢方関係の末席を汚すものではあるものの、少なからず関係者である立場上、この表題およびこの表紙の小説を見つけて「買わない」と言う選択肢はなかった。

 小説としての面白さから言うと、まずます。
 漢方相談薬局という少し閉鎖的な部分に焦点を当てただけに、展開と言うか、物語の壮大さには欠ける部分は仕方ない。
 全体としては、漢方に興味がなければ、説明が多くてダラダラした感は否めないけれど、説明がないと漢方医学の常識でも一般では知られていないので説明をせざる得ないところもある。その説明がないと面白さが通じないと言うこともあるため、二律背反な関係となる。
 いずれにせよ、漢方に興味がなければ本著をそもそも手に取らないと思うので問題とはならない(と思われる)。

 あと、タイトルから「舌診」から何か事件でも解決するのかと思ったけれど、「舌診」はほぼほぼ関係ない。漢方らしさを出すためだけの煽りのタイトルだった(笑)


 悪くはないけれど、設定においてひとつだけどうしても「(昭和世代の価値観では)ありえない。」と感じた点があった。

 主人公がSNS上で名乗っているハンドルネームが「神農本草[かんのもとくさ]」。読み方こそ「しんのうほんぞう」ではないが、これはあり得ないと感じた。(厳密には神農本草「経」と言う書物が出典となる。)
 他に例えると、手品師(マジシャン)がダイ・バーノンを名乗ったり、囲碁打ちが「本因坊」を名乗ったり、カメラマンが「木村伊兵衛」か「土門拳」を名乗るくらい恐れ多い。ましてや神農さんは神様である、そう言う意味では、キリスト教徒が「ジーザス」と言うハンドルネームで活動するくらいあり得ない。もちろん、その業界やその世界に興味のない人が、ちゃらけてその手のハンドルネームをつけるかもしれない。
 ただ、真剣に取り組み、ましてやプロとなるとその崇高さや敬意を払うべき存在であることは自ずと知りえることとなる。本著の設定では主人公は漢方薬局の薬剤師であり、漢方にそれなりに詳しい人物という設定なのだから神農本草経がどれほどの書籍か知らないはずはない。
 たしかに「神農本草」は薬物書であり、人でも神でもない。なので、再度、キリスト教に例えると「聖書」あるいは「福音書」と言うハンドルネームに近い感覚なのかも知れない。
 もちろん、法的には「神農本草」が商法登録されているわけでもないので自由に名乗っていいとは思う。ただ、上記の通り、本当に漢方に携わっている人間であれば、キチガイでないかぎり「神農本草」なんてハンドルネームは恐れ多くて名乗れない(あくまでも私の感覚)。人であれ物であれ「過去の偉大な功績に敬意を払う」と言う感覚は、令和の時代にはあまり理解されないのかもしれないけれど。
 と、ここまで書いて自らの間違いに気が付く・・・。作者は別に「漢方業界」の人間ではない。なので、普通に「神農本草経、なにそれ? 漢方で有名な書籍なの? じゃぁ、それを名前っぽくしてハンドルネームって設定にしてしまえ。」って言うくらいはありで、何も悪くないと思う。

 あと、上記の「ありえる、ありえない」の価値観とは違うけれど、やはり突っ込んでおかねばならないことがあった。(ツッコミどころはここだけじゃないけれど、本件が特に気になった)
 それは、「エキス剤より湯剤(煎じ薬)の方が効果が高い」ことを強調する場面が終始あったこと。それこそ「漢方薬には副作用が無い。」と言う誤った認識と同じである。そもそもエキス剤と煎じ薬のダブルブラインドテストを行って立証されたなんて聞いたこともない(もし存在していたら、私の無知を曝け出しただけで終わりだけれど)。思うに、患者さん(言葉は悪いが、とどのつまり素人)が煎じたものに再現性はほぼないと見てよいのではないか?。なので、ダブルブラインドテストは実現できないと思われる。
 それを妄信的に「エキス剤より煎じ薬の方が効果が高い」と喧伝するのもいかがなものかと感じた。しかしながら、ここまで書いてやはり自らの間違いに気が付く・・・。作家さんであって、医療従事者でもないのでそれっぽいことを書くのは仕方ない。漢方薬に限らず、根拠はないが「昔ながらのやり方の方が、何となく良いもの」と言う風潮があるので、作家としてそれ(湯剤の方が効き目が良いと言う、根拠はないけれどそれっぽいい話し)に乗るのも当然のことなのかもしれない。その方が面白いし。ただ、漢方に興味を持たれている方は本著を読んで信じてしまわないか少し心配。まぁ、料理漫画の蘊蓄を信じるバカがほとんどいてないのと同じように、小説を読んでその中の蘊蓄を信じるバカもほぼほぼいないと思うけれど。
(※確かに、生薬の配合比率を変更したり、加味したりできるメリットが煎じ薬にはある。ただ、それと効果・効き目は別の話し。)
 まぁ、いずれにしても上記2点は、ほぼほぼ嫌がらせに近いクレームで私の感覚が悪いと言うことは認識しているし、小説自体の面白さには影響しない。と言うか、むしろ必要な部分だろう。なので、やっぱり私のクレームか。

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