読後感

数学的に考える力をつける本:深沢真太郎

タイトル:数学的に考える力をつける本
初版:2020年7月10(2020年10月20日 第5刷発行)
発行:株式会社三笠書房
著者:深沢真太郎[ふかさわしんたろう]

 書店をぶらぶらしていて、ふと目にとまったので、長期休暇(年末年始休暇)用に購入。

 超ざっくりと書くと、「数学の問題を解くように、論理的な展開の話し方を実践する」について言及している啓蒙本。

数学的思考

 早速本題。

 前後は割愛するが、「山手線の内回りと外回りの距離はどれくらい違うのか?」という話があった。

 瞬間的に、著者とほぼ同じ考えが出てきた。それは二つの円のイメージが頭に浮かび、次に線路と線路の距離を想定し、その距離の2倍(つまり、半径の差の2倍)×円周率だよね?という考え。むしろ、この問いを聞いて、他にどんな考え方が何が出てくるというのだろうか。

 「円周率(π)とは?」と言う問いかけに対する、私の即答も著者と同じものだった。

 ただ、これに関して突っ込むと、「円周率は?」と聞かれたら、「3.14・・・」と言う解もありだろうけ。しかし「円周率とは?」と聞かれて「3.14・・・」と答える様では、数学的思考以前に、日本語読解力が低すぎると思う。

 なんにせよ、著者ほどではないにせよ、私自身も数学は好きだった。著者は「問題が解けた時の征服感」と表現しているが、この表現はすごく共感できる。私は数学の問題を解く面白さを「絡まった糸を少しずつ解いていき、最後に解き切れた達成感」と表現している。

 本書は、私のような理系でもなく、数学好き絵もなく、どちからと言うと、学生時代に数学に苦しめられた方(一般的に言うところの文系や薬学系の方)が読むと参考になる本なのだろうと思う。

 私自身は、書かれていることの多くに「そうだよね。」と共感できることばかりだった。

 本を読んで参考になったり身なったりするのは、共感できないことあるいは反感すら覚えることが記載された本の方が多い気がする。「そう言う考え方もあるのか。」と言う発見や自らの視野の広がりを感じるという意味で。

理論、理屈は正しいんだよね。

 途中まで読んでいて多くの共感を抱きながらも「確かにそうなんだけれど、論理的に話を進めると、(論理的な話が理解できない層から)’理屈っぽい’って言われちゃうんだよね。」なんて、言うことも感じていた。が、

 人を説き伏せるには二つの方法があるという。

 その一つは理詰めにとことんまで議論して、相手を’論破’することであり、もう一つ、人の気に入るようなものの言い方をすることだ。

『数学序説』:吉田洋一・赤 攝也、ちくま書房

 と言うパスカルの言葉が引用していた。

 理論的に正しくても、通らないことも多々ある。それが社会ってもんだ。

 さらに、この解説に著者は「一方がダメなら、もう一方を選べ。消去法を使え。歴史的な代数学者が、現代ビジネスパーソンにそう訴えています。」と書いてある。

 少し言葉は違うけれど、私自身は何か計画や策を考えるときは、正反対のアプローチも考える用にしている。つまり、反対側からも物事を考えるように意識している。

美しさを求める

 数学を正しく学んだ人は、数学に対して「美しい」と言う表現をすることがあります。

 まさに、数学好きあるある。

 解を導き出す時に、その証明や計算式に無駄はないか?、その解への導き方あるいは計算式の組み立ては最短か?、もっっと端的に解に到達できないか?などに着目し、その美しさ(これを美しいと感じれるかどうかが分かれ目)にこだっていた。

 仕事でも同様のことがある。そのプランは本当に最適か?とまずは疑い、他のより良いアプローチはないかと模索し、最善の結果を出すにあたり人・物・金はさらに削れないか?、時間的な無駄(ロス)はないか?などの細部にわたり再検証する。

 そして、企画書や計画書、結果報告などを見て「美しく無いなぁ。」との感想や考えを発した時に「美しさを求めるその気持ちは理解できる。」と共感する社員と「仕事に美しさなんか関係ないだろ? そもそも美しいとか、美しくないと言う表現が理解できない。」と言う社員に分かれる。これがまさに数学的な美しさを理解できるかできないかだと思う。

 本書では「数学とは矛盾を許さない学問です。多少はあってもいいというものではなく、ほんの1%も存在も許さないのです。」と表現されているとおりです。(実際の世の中はここまで極端ではなく、二律背反も多々ありますが)

「ナンバーワンにならなくてもいい」は誤りだ

 本著のこの件[くだり]があっただけで、個人的には「買ってよかった。」と思った。

 なぜなら、私はこの歌詞(「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」)にとてつもない違和感を感じていた(世界に一つだけの花)。そして、大抵多くの人が「いい歌詞じゃないか」と言う。著者は「正直に言えば、あまり感動できませんでした。」と書いている。本を出版されるような方も同様だったということが少し嬉しく感じた。

 著者が、なぜ感動できなかったかの理由は、著書内にて数学的に書かれています。

 私なりの答えは、

 オンリーワンは、言い換えると、唯一の者である。

 例えるなら、ボクシングでは、ある階級におけるチャンピオンである。よもやランキング10位の選手に対して、あのボクサーは唯一無二(オンリーワン)の強さを誇るとは言わないだろう。

 また、企業でよく言われるオンリーワン企業とは、その分野では他社が真似できないほどに突出している技術などを持っている企業である。

 チャンピオンは言うまでもなくナンバーワンの事である(ボクシングの場合、ランキング1位の上がチャンピン)。

 上記2例からもわかるように、突出していると言うことは、2位以下を大きく離している状態を指す。
 つまり、ナンバーワンにならずして、オンリーワンになることは不可能である。オンリーワンとは突出したナンバーワンのことである。

 という、結論を導き出している。

 本著中では、「小さなことでいいから争い合って勝て」と書かれいてる。これこそまさにマーケティングの基本である「セグメンテーション」とか「カテゴリーキラー」などのことだと思う。

 何一つ勝てない奴がオンリーワンになれるわけはない


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