読後感

31年ぶりにムショを出た―私と過ごした1000人の殺人者たち(金原 龍一)

 強盗殺人で無期懲役を受け、31年間服役していた(元)殺人犯が、刑務所で生きていくこととや出会った犯罪者のエピソードを綴った本。

 ごく当たり前に生きてきている人には、知りえない世界がつづられているので、好奇心と言う点でのみは興味を持って読み進めることができた。

 分かったことは、長期に服役していると、服役の意味や贖罪を忘れ、出所ばかり考えている。むしろ、服役させられていることに理不尽さすら感じるようになるようである(※1)。この本を読む限りでは、凶悪犯には極刑を望むのが正しいのだろうと思える。(長期に服役させても反省なんてしないのだから、遺族感情を考えると極刑がいいよね。と言う結論を本著より得た。)

 もっとも、30年間もずっと罪の意識を持ち続けるのは難しいだろうし、本当に持ち続けていたらその前に気が狂うだろう。さらに、刑務所で本当に更正できるなら(この本の著者のことではなく、一般的な話しとして)再犯なんて起きないし。

特に、「ひでー」っと思ったのは、

(あとがきより)
 私は実際に刑務所の中にいたから、30年以上、塀の中に閉じ込められている人たちの顔と生活を知っている。
 私を、彼らを早く出所させるべきだと思う。これは刑罰に対する考え方からいうのではなく、ひとりの人間として言いたいのだ。

 30年間、塀の中であっても「生きている」殺人犯。被害者は30年以上も前に、その殺人犯によって、ひとりの人間として言いたいことも言えない状態にさせられたわけだ。

 そりゃ、30年間も自由を奪われると言うことは、想像だにできない苦痛と言うことは理解できる。

 だが「お前が言うな(書くな)」と思ってしまう。

 遺族からすれば、「出所してのうのうとこんな本を出している」ことに対して、今すぐにでも「ひとりの人間」で無くしたいと思われても仕方ないのだから。

また、

(あとがきより)
 人間を、頭の中だけで考え裁くと言うことは大変恐ろしいことだ。殺人者である私が言えたことではないが、どうか裁判員の皆様には、自分の年齢から30を引き、その長さと重みについて考えていただきたいと願う

 と、裁判員制度での厳罰化を牽制している。

 が、この本を読めば、より厳罰化を望んでしまう。つまり、出版は逆効果だったのではないか。と思えてしまう。(もちろん、出版による印税狙いであることは承知している。殺人をして殺人をネタに金を稼ぐと言うことに共感はできない。)

(※1)2019年12月15日:このブログを掲載してから約10年が経った。偶然にも、10年前の同じ時期に「長期服役者は反省しない」事をさらに裏付ける本が出版されていたようだ。

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