ありがたい植物 日本人の健康を支える野菜・果物・マメの不思議な力:田中修/(1908)

タイトル:ありがたい植物 日本人の健康を支える野菜・果物・マメの不思議な力
初版:2016年11月
発行:株式会社幻冬舎
著者:田中修

 タイトルから予想するに、日本人がよく食べる野菜や果物などがいかに身体にいいかについて書かれたウンチク本かと思われる。そう言う側面も無いわけではないが、それに留まらない幅広い範囲で語られている。
 特徴を一言で表すと、著者の食材への愛が感じられる著書。
 よっぽど食材に事が好きなんだなぁっと言う事が伝わってくる。食材の成分や分類学など学者さん的な紹介に加えて、諺や食材としての保管方法、言い伝えや名前の由来やその名前が縁起が良いとか悪いとか、伝統行事など、食材に関する事であれば何でも紹介がされている。「愛」だと思う。

 本の構成としては、一つ一つの食材ごとに章が設けられ、それぞれに独立して説明がなされている。
 健康食材本にありがちな「何々は身体に良いから、とにかく食べろ、食べ続けろ、大量に消費しろ。(ただしソースと根拠は俺と一部信者な)」ではない。(その手の本と比べるのも失礼か?)
 確かに、食材によっては血圧を下げる効果があるとか、含まれる成分に抗酸化作用があるなども確かに紹介されているが、まともなソースを引用しているし、摂り過ぎた場合のリスクにも言及している。また、怪しい健康本にありがちな、例えば「〇〇を食べたら骨粗鬆症の予防に効く、だから大量に摂取せよ。」と言うこともない。たしかにその成分が健康に良い効果が研究機関で発表された、などの紹介はある。が、その場合にどれくらい食べないといけないかにまで言及して、現実的でない場合は、ちゃんと現実的でないと記載されている。

 ただ、前述の通り、一つ一つの食材ごとに紹介がされていて、読み物としては単調になりがちなので、飽きてくる。雑誌の連載など向きかな?
 目次を見て、気になる食材を取り合えず読むと言うのもありかもしれない。

平気であなたを傷つけてくる人から自分を守る本:石原加受子/(1907)

タイトル:平気であなたを傷つけてくる人から自分を守る本
初版:2014年9月10日(電子版:2019年1月17日)
発行:鵜野大
著者:石原加受子[いしはら かずこ]

 (私自身は)別に他人に傷つけられるようなことはないので、特に表題の様な方から、身を守る術を学ぶ必要はない。
 しかし、他人の言動に「傷ついた。」とか「傷つけられた。」と、いちいち反応を示す方の心理が少しでも理解できるのではないかと思い、購入してみた。

 本の内容の結論を一言で書くと、平気であなたを傷つけて来る人は「相手にすんな。」と言うこと。
 いかにして相手にしないかの方法論だったり思考パターンだったりが書かれている。そしてその能力(本文では「自分中心」と表現)に関してはスキルと表現していた。つまり、鍛錬によって習得ができて、さらに磨きをかけることもできると言うこと。
 また、本文に「根底では、誰もが人と親しくできたらと望んでいるに違いありません。」と書いてある。「誰もが」は言い過ぎだと思うけれど、親しくすること、人間関係を良好に保つことに義務感すら感じている人もいてるのであろう。
 そのような、「みんなと仲良くしないといけない。」「嫌われるのがいや。」と言う方が読めば肩の荷が降りる本ではないだろうか。
 少し換言して「気にしなけりゃ楽なもんだよ。」と言うことが書かれている。
 主題から少し離れるけれど、「人間、どうやったってソリの合わない奴もいてるよ。」と言うのが私の主義である。どちらが悪いとかではなく、そう言うもんだと割り切れるレベルで。もちろん、喧嘩をする必要も無い。しかし、無理に合わせようとしたってお互いが疲れるだけで双方に利点はない。仕事上などでどうしても接点があるなら互いに最小限の関わりにする。それだけで十分。

 内容は別にして、本文は、同じ言葉やよく似た言い回しがなんども出てきて、文章・文体は読みづらい。若干、論法も「詭弁じゃね?」と言う感も部分的には否めないが、小説や文学ではないのでそこはご愛嬌か(?)。

 嫌われても気にしない人間は、嫌な奴なんて「相手にする価値がない」と判断したり、徹底的に互いに攻撃しあっても平気なので、そもそも他人に傷つけられるようなことがないのかも知れない。

 「気にすんな」
 そうは言っても、世の中にはそれができないので人が多いんだろう。それが無駄に高いプライドから来るのか、極度に自分が可愛くて人から嫌われるのを強度に恐れるためなのか。理由は人それぞれではあるにせよ。

わたし、定時で帰ります。:朱野帰子/(1906)

タイトル:わたし、定時で帰ります。
初版:2019年2月15日
発行:(株)新潮社
著者:朱野帰子[あけのかえるこ]

 honto(サイト)の新刊リストから発見。タイトルから「定時で帰ることをどうやって物語(小説)にするんだろう?」と言う単純な興味から購入。
 話の持って行き方(各章の落とし所)に若干の無理(強引さ)があるけれど、総じてストーリーは、読みやすく面白かった。
 賛否の感想とか、色々と思うところはある。ただ、勤め人であるサラリーマンである立場なので書けない・書かない。

<メモ1>
種田晃太郎:「会社は仕事ができるようになりたいと思う奴ばかりじゃない」
東山結衣:(自分が上に行かなければ、きっとこの会社は変わらない。)

<メモ2:それはちょっと違う>
「真に恐ろしいのは敵にあらず、無能な上司なり」
 本文において、甘えた考えを持つ人たちからは最も共感を得られる一文(フレーズ)ではないだろうか?
 職業選択の自由が認められている現代において、自分自身の無能を棚に上げて上司を無能と評価することは、もっとも簡単に導き出せる愚者の結論。(自分は無能じゃない・悪いのは上司だと)自らを慰める行為でしかなく、逃げである。(と私は思う)。
 無能な上司であるなら扱いやすい、あるいはすぐに追い抜ける。と喜ぶところである。またそれができないのであれば、同類かそれ以下ってこと。
 



 一般受けを狙うには外せない「腫れた惚れたの男女の話」の部分について。
 おそらく大抵の人が、前半早々でオチについては予測がつく。その予想を大きく裏切るバッドエンドでもハッピーエンドでもない。言葉を変えると「オチが雑い」。
 本題からすればこの部分(惚れた腫れた)はオマケみたいなものだし、それはそれでいいのかな?



 しかし、なぜゆえに巻末にあの解説をつけたのだろうか?
 本文の内容を復唱しているだけの解説で、特別に何かの感銘を受けるわけでもなく、目から鱗的な再発見を得られるわけでもない。今まさに読み終えたばかりの小説の内容の解説。余韻を壊すだけだった。
 あの巻末の解説を読んで誰が得をするというのだろうか?
 甚だ疑問しか湧いてこない。